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自分も感銘を受けた本
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新しい地球観 1975年6月20日第6刷発行 著者 上田誠也 発行 岩波新書 令和4年9月の新聞に「ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム〜次世代へのメッセージ 地球の未来を守る」という記事が出ていた。 このフォーラムに出ておられた気候関係が専門のT大のA先生が子供のころ(中学生のころ)に読んで大変感銘を受けたという本が、自分も子供のころ(高校三年生のころ)に読んで大変感銘を受けた本であったので何だか少しうれしくなった。 昭和40年代にT大の地球物理の先生が書かれたプレートテクトニクス関係の啓蒙書で、岩石に含まれている磁性鉱物に記録されている熱残留磁気の性質を利用して大陸移動などの地球の歴史を解明していく内容のもので、自分も古地磁気やプレートテクトニクス理論に大変興味をもったものだった。
ちょうど自分が高校生のころには、小松左京原作の「日本沈没」が映画化やテレビドラマ化されて大変人気のあったころだったけれど、自分自身はあまり影響を受けることはなかった。
去年の9月にそれまで購読していた地方紙の新聞から全国紙の新聞に変えたのですが、上記のフォーラムの記事はこの新聞に載っていたものです。 この新聞はけっこう自然科学関係や科学教育関係の記事が多いので、自分のようにあまり新聞を読まなかった者でも興味深く読めるようになった。 このフォーラムは、会場に中学・高校生を集めて地球の自然環境を考える集いで、T大のA先生以外に3年前に「リチウムイオン電池の開発」でノーベル化学賞を受賞されたY先生も出ておられ、去年「地球温暖化を予測する気候モデルの研究」でノーベル物理学賞を受賞されたM先生も米国からビデオで出演されています。 司会者から「次世代へのメッセージを」という要請に対して、T大のA先生が言われた「元気でよく遊び、基礎の勉強をしっかりしよう。 最後の解決だけに気を取られては危険。 途中の過程を自分の頭で考えよう」というのには大変共鳴しました。
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思い出深い本
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↑ 旅人 1976年5月30日第38刷発行 著者 湯川秀樹 発行 角川文庫 思い出深い・・・などと書いてますが、自分は小中高と一貫してあまり読書しない子供だった。 しかし、高校生のころに読んだ「旅人」という本は特に思い出が深く心に残っている。 日本人で初めてノーベル賞を受賞された湯川英樹博士(故人)の自伝で、二十世紀初頭のころに現代物理学と呼ばれた「相対論」「量子論」「素粒子論」が世界中の物理学者を巻き込んで勃興していく時代の中を素粒子の研究者として成長していく本人の姿が物理の荒野を歩く旅人のように書かれているもので、高校生の自分にとって湯川博士の研究者としての生きざまが大変まぶしく感じ、現代物理学という学問がすごい学問のように思えた。
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← 死の灰と闘う科学者 1972年9月20日第1刷発行 著者 三宅泰雄 発行 岩波新書 「死の灰と闘う科学者」も高校三年生のときに読んだ本で、「新しい地球観」と同様に強く心に残っている。 地球化学が専門のT大の先生が書かれた本で、昭和29年に起きたビキニ環礁水爆実験で発生した放射能灰の被爆を受けた第五福竜丸とその乗組員の調査に携われたときの記録に基づいて、核兵器廃絶への科学者達の活躍が描かれている。 これを読んだころ、テレビの〇〇ロードショーの番組でアメリカの映画「猿の惑星」や「続・猿の惑星」、「新・猿の惑星」、「猿の惑星征服」、「最後の猿の惑星」などをほとんど週替り、月替りでやっていて、自分自身、核兵器が人類の未来に及ぼす最悪の事態を真剣に想像したものだった。
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新聞記事のフォーラムに出ておられたT大のA先生は、おそらく中学高校と一貫して優秀な生徒で、大学も本人の希望校にちゃんと合格できたんでしょうが、自分は反対に完全な落ちこぼれの生徒だった。 自分は中学二年生の一学期に学級委員に任命され前途洋洋たる新学期を迎えたはずだったけれど、次第に教師や同級生に対する不信感がもとで学校嫌いになってしまった。 経験不足の未熟な指導や生徒が他の生徒を姑息な真似で陥れたり、生徒が担任に他の生徒のことを告げ口したり、生徒が他の生徒を無視したり、といった感じで全然まとまりのないクラスだった。 小学生のころから育ててきた友情がどんどん崩れていったように思う。 それ以後はどんどんダメになっていって高校三年生の受験時期のころは史上最強最悪の落ちこぼれになっていた。 登校拒否にこそならなかったものの授業中は居眠りばっかり、最後には目を開けて居眠りする特技を修得したくらいです。 今で言う「仮面登校」の生徒だった。 そして、受験したすべての大学に落ち、最後に受験して落ちたはずの最低受験ランクの大学に辛くも補欠で合格という苦い経験があります。
結局、史上最強の劣等感を抱きながら大学で物理を学ぶ学生になったわけですが、数学やFORTRANなどもけっこう学んだ。 また、事情あって他大学の工学部で化学関係も学んだり、これと並行して情報処理技術者試験の受験勉強を完全に独学でやったりもしたものです。 常に強い劣等感に苦しみながらの青春時代だった、という感じですが、しかし、若い頃に基礎科学やコンピュータの関係をけっこう苦労して学んだ経験が、自分に自己学習能力を育ててくれたように思います。
二十代のころよく聞いた歌で、「道標ない旅」の歌詞「青春を旅する若者よ・・・」というのを思い出す。 中学高校の多感な時期にある若者達には青竹のように真っ直ぐとすくすく成長していってもらいたい。 自分のように頭の先をもがれた竹の子のような育ち方はしてもらいたくないものです。
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