下記の記事は、前館長(筆者の父)が亡くなった年(平成19年12月没)の翌年に掲載したもので、掲載している写真が撮られた正確な年月日はわかりませんが、平成元年ごろか、あるいは平成三年ごろ、四年ごろかもしれません。 当時、筆者は県内の東やら西やらを行ったり来たりしていて実家にはいなかったので父の当時の様子はよく知りませんが、当時の様子を母は「朝早く黙って車で出たっきり一週間ぐらい家へ帰ってこないことがよくあった。 そして、突然なんの前ぶれもなく家へ帰ってきて、車の中を見ると石がいっぱい載せてあるのでびっくりした。」と言っていました
 定年後の父は、車に野宿の装備を載せて化石・鉱物・岩石の採集をして県内外を漫遊する日々を送っていたようです。 


(H20年3月21日記載)

まだ、当館が存在していなかったずっと前、父はよく博物館関係の人達や教育関係の人達といろいろなところへ採集旅行に出かけました。
このころ筆者はまだ実家にはUターンしておらず、県内の東やら西やらを行ったり来たりしていたので、当時の父の状況についてはあまり知りませんが、それでも日曜日などに実家へ帰ってきたときには、父から「このあいだ、隠岐へ行って黒曜石を採集したぞ」とか、「山口の美祢へ行って、大きなシダの化石を採集したぞ」とか、「岡山の成羽へ行って、モノチス貝のスゴい化石を採集してきたぞ」などということを大変うれしそうに筆者に語ってくれたのをよく憶えています。

隠岐への採集旅行(平成元年ごろ)
(以下の写真は、当時、銀塩カメラで撮影されたものを当館でスキャンして掲載したものです)
やっぱり、隠岐島前の牛の方牧場は最高ですね。 向かって左側の方は、この前お会いしましたが、二十年も経つと、ああも風貌が変わるものかと唖然とする思いであります。 スンマセン。

向かって左上の方は、二十年経ってもあまりお変わりないようですね。 スンマセン。

向かって左側の方は、どなたでしたっけ。 よく知りません。 スンマセン。

やっぱり、隠岐といえば、島前西ノ島の摩天崖が最高に素晴らしい。 いっぺん、この崖を入念に観察してみたいものである。 大変、興味深いところだ。

やっぱり、隠岐は魚料理が最高である。 父は、魚料理が大の好物であった。 写真の顔を見れば納得できる。

お~、みなさん、大胆ですね。 18禁ですな。 特に言うことありません。

やっぱり、宿泊するなら、三世代そろった民宿ですねえ。 その土地の人々の習慣、くらしなどの民俗的なことが間近にわかって大変良いです。 それに、何と言っても人の温かい心に触れることができるものです。