
寺報「お寺からあなたへ」・仏教婦人会会報「まなざし」に掲載された原稿より紹介
〜浄光寺門信徒の声〜
「仏様と祖母の思い出」 和木町 山田アキ子
私は九才の時父と死別しましたので、母が働きに出るため、祖母が不自由な体で私たち孫4人の世話をしてくれました。足に障害が有り、歩くのが無理な祖母は食事の用意や仏さまの事を私にしつけてくれました。
朝夕、近所より水を汲むのは私の仕事、夕方は私が学校から帰るのを待って晩御飯の手伝いをしたものです。毎晩みんなで仏様の前に行き、手を合わせてから床に就きました。
子供の頃、12月の報恩講はとても楽しみでした。朝から沢山の水を用意するのは大変でしたが、学校から帰ると、ごちそうが出来ていて手を合わせて頂いた事を覚えています。
又、ご正忌の1月9日になれば親鸞聖人様が御病気になられているから静かに静かにと言って叱られた事、15日のお逮夜は祖母と『仏説阿弥陀経』を拝読した事をよく覚えています。何もわからない私たちに祖母は何時も親切に教えてくれました。浄光寺の永代経には祖母をリヤカーに乗せ、子供たちが引いて荷物を背に和木から歩いて参拝しました。
昭和20年、終戦前は毎晩のようにサイレンがなりました。弟たちを先に逃がし祖母をおぶって逃げたのですが、祖母が仏様を置いて出たら悪いと言って、三体の仏様を丸くして筒に入れ袋の中に入れて、首から下げて浜辺に避難しました。
その時、江津と浜田に焼夷弾が落ちてびっくりして一晩中泣いた事、祖母がする様に手を合わせ合掌したまま、しっかり仏様を抱いて眠った事など忘れられません。戦争が終わり、和木では日曜学校が始まって、それも祖母と通い思い出はいっぱいです。
今年は念仏奉仕団で京都本願寺に御参りが出来て、祖母は三日間私の肩の所にいて喜んでいる様な気がしました。後三年したら祖母の五十回忌がきますので、私はその日は祖母と遇える様な気がします。御縁が有りお寺に御参り出来るようになりましたので、これからは組内のお世話の事も頑張るつもりです。 合掌
「私とお寺」 嘉久志町 坂根美代子
私は二歳の時母を無くし祖母に育てられました。幼い頃祖母についてよくお寺にお参りしていた事を思い出します。育ててくれた祖母の年に私も近くなってまいりました。
若い頃は都会で生活していたせいもあり、子育て、仕事と忙しくお盆、お彼岸にお墓にお参りするぐらいで、お寺に出向くことはほとんどありませんでしたが、昨年64才で亡くなった夫の死をきっかけに、御院家さんのお誘いもあって昨年10月には本山奉仕に参加させて頂き帰敬式を受けさせて頂きました。そして多くの方々との出会いもあり嬉しく思っています。除夜の鐘も初めて撞かせてもらい、二人の孫も大好きだったおじいちゃんに聞こえる様に力いっぱいついたそうです。
これからはお寺にお参りさせて頂き、色々な事を勉強させて頂きたいと思います。 合掌
「田代俊孝先生のお話を聞いて」 和木町 今田昭子
「私の人生は、これで終わったと感じた娘の死から二年。未だに私は生きている。なんという不可思議なことでしょう。」
友達に勧められて参加した浄光寺の若婦人研修会で、「死そして生を考える」と題して講演された田代俊孝先生は、「老いて当たり前、病気になって当たり前、死んで当たり前、老いないことが、病気にならないことが、生きていることの方が不思議です。」「自分で生きているのではない、生かされているのです。」と説かれました。
その時私は、生きていても仕方ないと命を軽視していた自分の愚かさに気づき、恥ずかしさと同時に何とも言えない安らぎが自分の中にスーッと入って来るのを覚えました。
二年前、娘の死を悼み「短い命だったね、残念だったね。はやすぎたね・・」と多くの方々から、口々にお悔やみを頂戴いたしました。皆様のお心遣いに感謝しながらもその言葉は、私にとって慰めにはならず、よけいに悔しく、残念で悲しいものでした。
このことも田代先生は説いてくださいました。「人生短くても良し、長くても良し。他人に人の人生の長短を善し悪しで論じられることでは有りません」と。
そうなんです。確かに娘は短い命でしたが、その人生を人の為に精一杯生きてくれたと私は信じています。そう思うと自分の心が慰められ自分にやさしさと穏やかさが満ちてくる思いがしました。又、娘がくれた私の命です。私も今日一日を精一杯生きなくてはと、勇気の様なものまで湧いてくるのを感じました。
多くの力を頂いたこの度のお聴聞は、この機会を紹介して下さった浄光寺様や勧めてくれた友達がいたからできたものです。心より感謝申し上げます。
「愚かさを 知れる我が身の あたたかき・・・」



先日はご丁寧なるお便り、其の上、私には何よりの田代先生の『心を支えるビハーラ」の仏書をお送り下さいまして誠に有り難うございました。ゆっくりと味わわせて読ませて頂きます。
今年も早、永代経の勤まる季節となりました今年は善太郎さんの百五十年目の年になります由、意義ある法要でございますね。
古里都野津を離れまして早いもので九年になりました。浄光寺様へお参り出来ないのが唯一の私の淋しさです。
浄光寺様の仏婦発刊の「まなざし」年4回、奥様より送って戴き読ませて貰うのが何よりの楽しみです。色々な行事、法話等々が盛り沢山に掲載されていますので、その時だけでもお参りしているような気分にさせていただき、一人でお念仏申しております。お顔を存じている仏婦の方もあり、懐かしさ一杯になります。お若い方が沢山活躍なさっている様子が良く分かりまして、ご院家様、奥様さぞ心強く思っていらっしゃる事と思います。成長なさった坊ちゃま方にもお会いしたい気持がします。
いつまでもお元気で、門徒の皆様と一緒に頑張って下さいませ。ご身体ご自愛下さいます様お祈りいたします。 合掌
「ふるさとを離れて早や9年」 明石市 山根ミツエ