江津市水ふれあい公園 水の国 MUSEUM104゜ 
展示中アート作品一覧 



『アルキメデスのゲート』                                                (1997年)
エリック・オア/Eric ORR    
 

 「アルキメデスのゲート」は桜江町の“水の国”のために考えられた作品で、円の内側と外側に沿って水が流れ落ちる仕組みになっています。特に外側の表面には特殊な横縞のエッジが入っており、その凹凸に水が引っ掛かりながら流れるため、ユニークな波紋を描きながら流れ落ち、独特の世界を作り出します。
 何気ない身近な存在である「水」の織り成すドラマが、古代から神秘的な科学の力、水の不思議を感じる世界への入り口(ゲート)となることでしょう。
 




『地殻-太古の海より』                                                 (1993年)
岡本 敦夫/Atuo OKAMOTO    
 

 数十億年という長い年月を経て繰り返されてきた生命淘汰の歴史は、地球表皮でもある地殻岩盤の中に堆積し蓄積されています。人間の遺伝子の奥深くにも、この膨大な生命の記憶は刷り込まれているはずです。
 重くて堅くて中身の詰まった石、その素材としての角質を一つ一つ取り除いて行くと最後にこれ以上取り除けないものが残ります。それは石自身が地殻の一部として持ち続け隠し続けてきたエロスなのです。
 それらは清らかな羊水を含んでいます。
 人類は人類の短い歴史の中で、自然を作り替え文明を築き繁栄を続け、文明の急速な発展に適応して個人の能力や知識も急速な進化と退化を余儀なくされています。
 地球は長い生命淘汰の歴史の一部として、今も密かに見続けていてくれることを願っています。
 




『寂水の庭』                                                     (1997年)
西 雅秋/Masaaki Nisi    
 

 桜江町にある一本の大木を生木より型どりをし、ブロンズに鋳込み、生木とまったく同じ形の彫刻を並置してあります。その大木の姿は同時に我々の姿でもあり、生木は大地の水を蓄え、より太く高く成長していきます。
 静かに長い時間の流れとともに出来上がってい作品は、大地の水が涸れない限り生き続ける作品です。
 




『桜江飛翔基地』                                                    (2004年)
西 雅秋/Masaaki Nisi    
 


−AIR-

Animals In Residence

群棲
(ぐんせい)・育雛(いくよう)・馴致(じゅんち)






やがてこの2つの卵
Art と Nature が孵化する日を静かに待つ。
 




『STAR DUST』                                                   (1997年)
たべ・けんぞう/Kenzo TABE    
 

 太陽のエネルギーが遥か彼方からバン・アレン帯を通過して真っ暗の地上に降り注ぐと網膜に届いたエネルギーは光と色彩に変換され、目の前の大海はアクアブルーに輝きだす。……けれど水が青い色をしているわけではないことは誰だって承知している。色も形も匂いも味もなく、液体、固体、気体と変幻自在に姿を変え、数十億年ものあいだ地球の歴史を溶かし込んでは空と大地をめぐり続けている不思議な物質、水。水道の蛇口をひねればコップの中は太古からの星の記憶でいっぱいに満たされるはずである。生命はこの水から生まれ、はぐくまれてきた。めぐる水で一つながりになったエコシステムの中に生きる我々がこの先果たして透明な水にどのような歴史を溶かし込んでゆくことになるのだろうか。星を薄い皮膜でひんやりと包みこみ、水は鏡のように虚空の青を映してまたたいている。
私は捻じ切れた鉄パイプを拾い上げ、青空にかざして見上げた。水の鏡に映し出される星の姿を想い浮かべながら。

 




『シーラカンス』                                                     (1997年)
井村 隆/Takashi IMURA   
 

 水は容器の形に従い、蒸発し、雨になって地球を潤す。また、大雨の水は何万トンものタンカーを支え、多くの生命を育む。
 私は幼い頃から水中の生命の代表ともいえる魚たちにある種の憧れを持っている。
 イメージで作る私の魚は翼を持ち、体の中には小さな乗務員「ボンフリくん」がいて、ギッコンバッタンと漕ぎながら、水中を、大空を、宇宙を駆けめぐる。いま、このボンフリと江の川のエンコウ(河童)との出会いがはじまる。
 




『大気現象の神話』                                                (1997年)
杉浦 忠雄/Tadao SUGIURA  
 

 主人公である「水」が、自然界を舞台に太陽や風の力を借りて旅をする水の循環の物語。この「大気現象の起源」の神話がこの地よりほど近い神話の里「出雲」にありました。「古事記」と「出雲風土記」の泣く子神話です。古事記では、水の神スサノヲが激しく泣いて、海や川を枯らし大地を荒廃させます。そして、太陽の神である姉のアマテラスに相談するため天に昇りますが、乱暴やいたづらの結果、天から追放されて地上に降りてきます。この物語は水蒸気の上昇や雨などの降水の現象がそのまま忠実にたどられています。古代の人々はこの不思議な現象に神の存在を感じ物語をつくりました。私たちの想像力を掻き立て、大空に景色を描き、感情あふれる舞台演出を見せてくれます。
 
 




『鯉の童子』                                                      (1997年)
籔内 佐斗司/Satoshi YABUUCHI    
 

 水は天界と地界の間を常に循環しています。
 古代中国では、そうした水の性質を「鯉」と「龍」の形で表現しました。
 天界から舞降りた水の本質は、われわれの身近にある池や湖に流れ込み穏やかな鯉に姿を変えて暮らしています。しかし、時が来ると鯉は川を遡り滝を登り、霊山の高見から風神や雷神の祝福を受けながら龍に変身して天高く駆け昇って行くと考えられていました。
 庭に鯉を放したり、鯉の滝登り図や端午の節句の鯉幟にはそのような思想背景があるのです。
 「昇龍の童子」はお迎えにやってきた風神のこどもを背に鯉が龍になるために川を遡りはじめたところです。
まわりにはいままで鯉の世話をしていた「真魚坊(まなぼう)」や蝶が付き従っています。知恵と再生の象徴である蓮も華を咲かせてお祝いをしています。
 回廊の一角で釣りをしているいたずらものの河童のこどもや、大地を治める「地鎮め大王」の使いである鯰も鯉のともだちです。


 




『光井戸』                                                      (1997年)
田中 敬一/Keiichi TANAKA    
 

 「水の国」は、普段取り立てて意識することのない、“水”をテーマに、様々な観点からその存在を再確認する場である。
 『光と音の館』で展開する作品“光井戸”は、深井戸の底にたたえられた水面からわき上がる水の様々な生命観あふれるイメージを光によって空間全体に表現しようとするものである。
 




『水滴/Water Drop』                                                 (1997年)
金 昌烈/KIM,Tshang-yeul    


 水滴はキャンバス上に描かれ、瞬時に消えかかろうとしている。静止した状態でようやく水の形を止めている。あるものはその水滴が広がり、形を失いかけているものがあるが、全て水をイメージして描かれている。
 水はイメージであり、描かれた形、目に見える絵画は実態である。
 消えようとしている水滴は、私たちの日常でよく目にする光景ではあるが、水滴はほんのわずかな時間でしか見ることはできない。水滴は張力を持ってとどまり、時間が経てば私たちの目の前から瞬時に消えてしまう。水滴は時間を象徴しており、時間は流れという歴史でもある。また消えて行く水滴は金昌烈そのものなのかもしれない。追憶という時間、記憶という時間の一つ一つが金昌烈と重なる。なにものにも属さず、なにものにも属している、水そのものと。

 




『風に結ばれ 水に咲く』                                               (1997年)
田中 真聡/Masato TANAKA    
 

 水はすべてのものを包み、溶かし、受け入れる力や、姿を変え、すき間に浸透し、違和な物は弾き返すといった様々な性質を持っています。
 四季のある国に生まれ、生活環境の変化のスピードが年々早まっている現代社会の中で、より快適に暮らすということは、毎日の身の回りの流動的な変化にに対して、水の如く応ずる姿勢が必要なのだと思います。しかし、どんなに心がけていても、ストレスは知らぬ間にたまってしまいがちです。
 人やすべての生物に生理的に水が不可欠なように、日常の生活から生じる様々ストレスを心理的に癒してくれる「水」のような役割を持った環境演出装置として作品を提供してきました。
 今回の作品は地球の重力を利用したメカニカルなやじろべえ風のオブジェに光と影の演出を加えたものです。
 水を想起させ、自分の体の中にもある「水」と同調し、自分も自然の一部なのだという感覚を楽しんでもらえるような作品です。
 




『耳の休息』                                                      (1997年)
庄野 泰子/Taiko SHONO  尾崎 悟/Satoru OZSKI    



耳の休息−耳のための椅子
日常的な機能を一時停止させる場としての腰掛。
はじまりの水音を聴くことから
やがて水音の隙間を通して、環境の音の断片、あるいは
沈黙を聴くことへ。
それまでの音風景の「地」が、「図」となって浮上する。
ささやかな耳の re-creation (再・創造)。


 



○●水の国●○