きよらかな白い蓮華のように、厚い信仰をもち、念仏に生きる人々を妙好人と言います。江戸時代に邑智郡瑞穂町市木の浄泉寺の仰誓師が『妙好人伝』で各地の妙好人を紹介したのを始まりとし、数多くの『妙好人伝』が著されてきました。
 妙好人は、特別な人ではなく、ごく普通の人たちです。その中には、念仏より生かされている感動を詩や歌に表現した人もいました。温泉津の浅原才市をアメリカに紹介した鈴木大拙博士は、「石見の国は妙好人のよく出るところとみえる」(『妙好人伝』より)と延べるほど、石見からは数多くの妙好人が出ています。          
妙 好 人 と は
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  経に、念仏一筋に生きぬいた信心の人を、「上上人・好人・妙好人・最勝人・稀有人」とほめたたえられてある。
   山陰特に石見地方には、妙好人とたたえられ親しまれてきた方が数多くいる。鈴木大拙氏は、その著「妙好人」の中で、「石見国は妙好人のよく出るところと見える」 と述べている。
  恵まれない自然の中にも温柔な人柄。山間の農林業、海岸の水産業でわずかに生活を支え、そして文化に遠い土地柄。そのような人間性と厳しい生活環境が、お念仏のみ教えを吸い込んでゆく、よき土壌となったのだろうか。
  仰誓・履善両和上の手になった「妙好人伝」の中には、石見生まれの人が10人もいる。この事からも明らかなように、仰誓・履善和上をはじめ、そのすぐれた門弟や、近隣各寺の熱心な住職により、石見の法田はあたたかく耕され、妙好人が次々と生れ出づる土壌をつくっていったのである。
  このような念仏者の生きざまが土徳となり、今なおこの地域の多くの人々に、人間としての本来の生き方を教え続けてくれている。
念仏一筋に生きぬいた信心の人