トップ 院長・スタッフ紹介 衛生面 受付時間 施術費用
施術内容と適応症 施術設備 地図 駐車場設備 何でも書いてね

院 長 :安藤 正文 

(あんどう まさふみ)

はり師・きゅう師免許保有

◎鍼灸院を探すには、「先ず第一に腕が良いところ」と、つい最近までは考えられて
きました。勿論、それは重要なことですが、最近は少し様変わりしているようです。

エイズや肝炎など感染症が蔓延している現在、「衛生面はどうなのか」と、時々電話
で尋ねられることがあります。自分が患者の立場で有れば無理からぬ当然なことで
す。当院では常に患者さんの厳しい目線に立ち、万全な体制を取っていますので安
心して治療が受けられます。

詳細はHPの衛生面の欄をご覧下さい。

◎鍼灸は怖いというイメージが一般的に多いこの世界ですが、鍼は痛くもないし、灸
は気持ち良くパワーが身体に入り元気が出てきて気持ちいいものです。

天下分け目の関ヶ原の戦いで家康が病に倒れ、死の淵を彷徨っているとき、小栗栖
の灸で元気を取り戻し、天下を取ったという逸話もありますし、また、全国行脚してい
た松尾芭蕉の「奥の細道」にも三里の灸で旅の疲れを癒したという情景がでてきま
す。

◎このように、鍼灸は古くからある治療法として知られていますが、最近では新しい
医術として生まれ変わろうとしています。

それは、鍼灸大学の付属診療所や大学院での更なる研修、医科大学での鍼灸治療
の研究による「鍼は何故効くか」の解明が進んできたことも一つの良き原因です。

◎実際に、赤ちゃんの夜泣き、疳の虫、妊娠時の逆子、夜尿症などにも劇的な効果
があっても、その治る理由が解らないと迷信などと勘違いされやすいものですが、医
学的に効くという事が理解できますと安心して治療を受けられます。

鍼灸は経験医術とも云われていますが西洋医学面での認識を深めていくことも必要
なことですね。

◎最近、小中学生に悪い姿勢が急増しています。同時に悪い方向に子供達の身体
が変化しているのです。

骨折しやすい、運動能力が落ちている、高血圧、胃潰瘍、低体温、行儀の悪さ、など
キリがありません。行儀の悪さ、つまりしつけの仕方が大人にもわかっていない面も
あり親にも責任があるのではないだろうかと思う。ただ、学級崩壊などの原因は躾の
悪さだけが根本的な原因ではなく、真の原因は悪い姿勢にあることを認識してほしい
ものです。

△姿勢が悪いと何であかんの?

○筋肉が緊張して血行が悪くなり頭痛、肩凝り、などの症状がでて、脳の働きがにぶ
ります。血流量が減るということは酸素の供給量も減り記憶力も落ちて成績も悪くな
る。同じ姿勢を保持することが困難となり落ち着きがなくなります。

また、脚をよく組む人は姿勢の悪い証拠です。つまり、骨盤が傾き背骨も傾斜して顎
の骨も傾き噛む力も弱くなります。噛み合わせが悪くなり思考力も鈍る可能性があり
ます。筋肉の負担が大きく疲労しやすい体質となります。したがって猫背や側わん症
を早期治療することが肝要であるといえます。

○姿勢の良い人を診ると背筋(脊柱起立筋)や腹筋が大きく力強く感じられます。

(姿勢の欄の参考資料、NHKためして合点)

スタッフ紹介

  柔道整復師   安藤 美根子


恥ずかしいので正面の写真は失礼します。

最近、美顔をして少しだけお見せできるようになりましたが、まだアップ
は無理です。

 

 副院長 安藤 敬信(たかのぶ)

はり師・きゅう師免許保有




経歴

県立浜田高等学校<卒>

→国立、京都工芸繊維大学

工芸学部 機械システム工学科<卒>

 (日本機械学会畠山賞を受賞)

 →明治東洋医学院専門学校 鍼灸科<卒>

国家資格 「はり師」「きゅう師」免許取得

 (通学中、大阪野田鍼灸接骨院にて修行)

 →京都中央仏教学院<卒>

教師(住職継承資格)取得

 →安養堂鍼灸院<勤務>


島根県鍼灸師会会員

青年部長を任されています。


患者さんの評判は上々ですが、院長に馴れ馴れしく容赦のない意見や
不満を云いながらも、やる気は満々の様子です。

 広島や大阪、福岡など研修会には積極的に参加しています。

こんな二代目ですが、どうぞ宜しく願いいたします。


愛犬(スリーピーとメリー)


安藤 正文 (まさふみ)
昭和49年に明治東洋医学院を卒業して
早くも鍼灸治療歴40年(平成27年現在)
以上となりました。研究意欲も衰えること
なく、ますます盛んです。痛みや悩みから
解放された皆さんの美しい笑顔みたさに
技術向上に精進しています。

思えば、40年前の開業は、京都四条河
原町の阪急百貨店前、常久ビルでした。
若さに任せて開業し、向こう見ずな田舎
者の私を暖かく見守ってご指導いただい
た上に、成功へと導いてくださった方々の
ご恩を忘れることはできません。お陰様で
技術面、精神面において進歩があったよ
うに思います。20年以上の長い間、関西
地区でお世話になりましたが一身上の都
合により、平成2年には京都安養堂を優
秀なる後輩に委ねて帰省することになり
ました。

念願かなって故郷、浜田で開業すること
ができました。私の基本的姿勢である「思
いやりをもって常に親切、丁寧な治療をお
こなう。」は、京都時代に育まれたものと
思います。出会いのあった皆様にとても
感謝しています。ありがとうございました。
      

◎19年3月に次男が鍼灸師となり、京都
や大阪で修行を重ねて浜田へ帰ってきま
した。当院で施療に専念しています。どう
ぞ宜しくお願い致します。

平成21年7月  記

平成27年3月 数字改

安養堂の由来

以下は余分な話ですが名前などについて
聞かれることが多々ありますので書き添
えます。

安養堂は京都開業時の協力者で心から
尊敬している叔父で、医師の栗山先生
(門真市在住)によって名付けられまし
た。元々、私が安養寺という寺院の出身
であり、安養とは、一般的な意味として安
心して養生のできる場所の意味からも適
切であると判断されたのであろう。

(仏教での安養は煩悩のけがれを離れた
清らかな世界をいう。) 

 金城町安養寺の開基は智円で慶安3
年(1650年)とされるが、その後、安養
寺慶念(大分県臼杵市)の朝鮮日々記の
研究本で「朝鮮日々記を読む」の研究者
の一人、本多正道先生が「安養寺は慶念
と関係があるのではないか」、とのお話を
伺い、寺の由来などについて興味をもち
ました。

 そして、安養寺縁起を探し読んだ結果、
その古書には、慶安3年より以前の慶長
3年が正説であると記載されていました。
また現在地への創建は慶安3年である
が、地区民の言い伝えにより、それより、
もっと以前に、東方寄りに草庵があったと
される説があり、礎石など実在することも
わかりました。

さらに草庵は、安養寺慶念(安藤姓)が豊
臣秀吉の朝鮮侵略の際に、医僧として慶
長2年6月24日より8ヶ月間随行して翌
年帰国した年と不思議に一致しているこ
とが考察できた。ゆえに独断ではあるが
慶長3年(1598年)を安養寺の起源とし
たい。但し、法蔵館出版の「朝鮮日々記
を読む」の239ページには安養寺は慶念
ゆかりの寺として紹介されてはいるもの
の、慶念本人であるとの消息は定まって
はいない。

考察として、安養寺の北に慶念の開基と
される大坊の浄光寺、南に慶念の兄弟
の開基とされる大坊の浄泉寺があるとこ
ろをみると、慶長年間に石見地区一円で
命がけの布教活動をした慶念が活動の
拠点として築いた草庵であったのだろう
か?



Last updated: 2016/5/06